第二話「横たわる冷気」
「さくらいみちもと、と申します。」
道元は、ホワイトボードに「櫻井道元」と書いて目の前に座っている幹部を前に挨拶をはじめた。
「本当は、“みちもと”と読むのですが、人は“どうげん”と呼ぶことが多いです。きっと、この方が呼びやすいんでしょうね。皆さんも遠慮無く、“どうげん”と呼んで下さって結構です。」
幹部の誰一人として頷いたり、道元の方に顔を向けたりしている者はいなかった。かと言って隣同士がひそひそとささやきあうでもなく、妙な静けさが会場を覆っていた。通常余り使われることがないのだろう、冷たく少しかび臭い空気が会議室に横たわっており、照明の暗さも手伝って益々陰気な雰囲気を醸し出していた。ロの字に設置されたテーブルには、総支配人、総支配人代理、宿泊支配人、料飲支配人、宴会支配人、営業支配人、経理部長などホテルの幹部10名ほどが物静かに座っていた。
冒頭から柔和な表情を崩さずに道元は、このホテルに社長として赴任してきた経緯や今後の改革の進め方について、一人ひとりの目を見つめながら話し続けた。いつも最初はこんなものだと思いながら話していたのだが、いつもよりも反応が薄く、部屋に充満する空気のように冷たい感じがしていた。それは、外部の人間がいきなり入り込んできたという警戒心ではなかった。また、幹部連中で事前に新しい社長について話し合って、追い出そうとするような反発心でもなかった。
「この圧倒的な静けさは、何だろうか。」
道元にもよく分からなかった。
「それでは、社長、いや”どうげんさん”、でよろしかったですね。これにて、幹部会議を終了します。」
折伏総支配人は、表情も変えず、わざわざ冒頭の道元の挨拶を繰り返して、会議を終了させた。
つづく