第十二話「静かな退場」
部門間の連携が取れず硬直的になっていた組織が、日を追う毎に柔らかくなり、それはまるでお客様の要望を吸い取るスポンジのようにまでなっていた。
調理場の対応に頭を悩ませていた女性フロントスタッフも、最近は表情が明るくなっていた。お客様からの急な連絡で、食数が変化したり、子ども料理の追加などがあっても、以前とは異なり調理場は気持ちよく対応していた。時間がぎりぎりになってしまって食事提供が遅れそうになると、スタッフ総出で準備に取りかかっていた。
「板長。申し訳ありませんが、また食数が変更になりました。予約受注のミスで懐石のBコースがAコースになります。」
「おう、しょうがないな。ただ、ミスは出来るだけ勘弁してくれよ。」
板長は仕方がないなと言う表情をしつつも、申し訳なく謝るフロントスタッフを目の前にすると気の毒さも感じていた。
時間が取れるときにはフロントスタッフ自ら調理場に出向き、変更などを伝えるようにもなっていた。これまでは、時間がかかることや生産性が落ちてしまうなどの理由から電話での連絡に終始していた。それが、お客様のために自ら動いて出来ることはないのか、そんなことを考え始めているスタッフがどんどん増えてきていた。
折伏総支配人は、お客様がチェックアウトして人の喧噪の余韻が残るロビーからぼんやりと海を見ていた。
最近は、総支配人に相談や報告をするスタッフがめっきり減ってきていた。職務上直属の部下である部長からの報告は形式上あるものの、運営そのものに関わるダイナミックな生きた情報はほとんど入らなくなっていた。それは当然であった。部下にとって、総支配人に報告する意味が見いだせなかったからである。総支配人に相談しても解決することなどほとんどなく、結局自分にも責任があり、自分が頑張るしかないと言うことに落ち着くことが多かったからである。まあ、元々相談自体も少なかったわけであるが。
「道元社長、今月一杯で退職させて頂きます。」
何人かの古参社員に続き、折伏総支配人が思い詰めたような顔で退職の申し出があった。勤続20年以上のベテランスタッフは、このようなホテルの雰囲気の変化についていけていなかった。別に何かしら強い想いを持って働いていたわけではなく、何事もなく仕事が出来れば良かったのだが、最近はお客様を中心にして業務内容も変わるし、それも上から押しつけられるわけでもなく、スタッフ自らどんどん変わっていくものであった。このような状況がやはりベテランのスタッフには居心地が悪くなっていたのである。
「折伏総支配人は、それで満足なのですか。」
折伏総支配人は、ちょっと道元の目を見たような気がしたが、すぐに目をそらした。
「ええ、考え抜いた結果ですから。」
いつもの会議の終了を思わせる静かな退場であった。
つづく