第十六話「女将の笑顔」
「まあ、櫻井社長。遠いところからおいで頂きまして、ありがとうございます。」
何時に到着するか連絡をしていないにも関わらず、ロビーに入った瞬間女将らしき女性が道元を出迎えた。凛とした姿勢で楚々と歩き、きれいにまとめ上げられた髪は一つの乱れもないようだった。
ロビーに一歩入ると、目の前にはガラス越しに雄大に広がる太平洋が迫ってきた。圧倒的な風景に道元は目を見張った。
「はじめまして。“さくらいみちもと”と申します。呼びやすいんでしょう、周りの人間は、“どうげん”と呼んでいますので、女将も“どうげん”と呼んで下さい。」
女将は、道元のカバンを手に取りながら、半歩先を歩いていた。
「では、遠慮なく道元社長と呼ばせて頂きます。なんだか、ほっとする良いあだ名ですね。」
いたずらっぽい微笑みを浮かべて、一瞬振り返った。
「主人は数年前に病死しまして、その頃からこの旅館の売上げも低迷してきました。資金繰りにも窮するようになりまして、もう終わりかなと考えていた頃に石井社長に救われたのです。あのときは本当に助かりました。でも、私はずっと女将として旅館に携わってきておりましたので、経営のことはよく分からないんです。ですから、石井社長から道元社長のことをお伺いしたときには、本当に嬉しくて・・・。私は昔から、人に恵まれているんです。」
凛とした姿勢が少し緩んだ気がした。
「大変なご苦労をされたのでしょう。」
広いロビーを見渡しながら、道元はチェックインするお客様を見やった。
「しかし、立派な旅館ですね。これまでかなり設備投資をされてきたのですね。」
「ええ、主人が旅館は装置産業だから設備投資は必要なんだ。この苦しい状況を打ち破るには設備投資が一番良いと申しておりまして、金融機関様のご協力を頂いて設備投資を続けてきましたので。」
瀟洒なつくりの施設を眺めながら、道元はこの先起こるであろう出来事に思いを馳せていた。
つづく