第三十二話「海に差し込む陽光」
女将とコミュニケーションを取る場所は、いつもチェックアウトが終わり、物静かでどこか憂いも感じられるフロント前のロビーの隅っこだった。今日は、梅雨も明けそうなほど強い陽光が海に差し込んでいた。この時期の海は、日に日に眩しくなってくる。その強い光のため、目も開けられないくらいだ。
「道元さん。私、これまで何を大切にして、何を残そうと一人頑張ってきたのか、分からなくなってきたの。」
眩しい海を見ていた道元は、目の前にいる女将に目を向けた。いきなり暗いロビーに目を向けたので、女将の顔がよく見えなかった。軽い目眩を覚えた。
「道元さんが、先頭に立ってこの旅館を切り盛りしていくようになって、こんなに従業員が変わるなんて、今でも私は信じられないくらいなんです。それも、そんなに日が経たないのに・・・。いえ、私は道元さんに文句を言っているのでは無いのですよ。むしろ、とても感謝していますし、どれほどの感謝の言葉を並べても意味が無いと思うぐらい。」
「でもね。そう考えれば考えるほど、それまでの自分は何をやってきたのかしら、って素直に振り返ってしまうんです。それまでに自分は何を大切にして、何を残そうとしてきたのか・・・。」
「人はみんな一所懸命生きているんです。自分なりに一所懸命にね。だから、自分のやってきたことは間違っていなかったと思いたい。」
いつものように淹れ立てのオリジナルコーヒーを一口飲んだ。ゴクリとコーヒーが喉を通った後、道元は続けた。
「女将は、どこかで以前の自分のやってきたことが間違っていたんじゃないか、でもそんなはずじゃない、私は一所懸命やってきた。この旅館を残すために・・・。」
女将は、道元を見つめた。
「でもね、女将は間違ってなんかいない。ただ、一所懸命すぎて、いくつか大切にしないといけないことに気付かなかっただけなんです。ただ、それだけ。端から見ると、よく見えるんです。私は、それを女将に気付いてもらおうとしただけなんです。」
海に流れ込んだ陽光が反射して、ロビーの天井をきらきらと輝かせていた。二人は眩しそうに、それらを眺めた。
つづく