コンシェルジュノート

2015/08/11 コンサルタントコラム

No.2から見たカリスマ経営と傲慢経営の違い
《コンシェルジュコラム》組織におけるNo.2 (3)

No.2から見たカリスマ経営と傲慢経営の違い
《コンシェルジュコラム》組織におけるNo.2 (2)

前回のメルマガで、組織におけるNo.2の役割とは、社長の右腕あるいは従業員のリーダーとして組織を動かすことだと定義した。
ただし、組織におけるNo.2が潜在化した状態、あるいはその芽を摘まれている可能性があることも指摘した。
No.2がその役割を果たすことができる組織は活性化が進んでいる。
しかし、残念ながら活性化が進まず停滞した組織も存在する。
今回はそのあたりを踏まえつつNo.2から見た社長と会社、ひいてはカリスマ経営と傲慢経営の違いについて考えてみたい。
そのために実在する(した)2人の社長に登場いただくことにする。

<社長A>
私が尊敬する中小企業の社長がいる。
その社長から伺った数多くの名言の中に
「雪が降っても槍が降っても自分の責任だと思え」
という強烈なものがあった。
もちろんこれは従業員に対して言っているのではなく自戒である。
”世の中不況だから”、”部下が思うように動かないから””・・・だから”といったことは言い訳であり、全ては自身の経営力が目標に追いついていないことが原因だというのだ。
不況ならばどうすれば生き残れるのか?
部下が思うように動かない原因は何か?どうすれば動くのか?などを考え抜く。
こういった信条をもった社長がいる会社は、リーマンショックや震災等の度重なるアクシデントも乗り越えて、今も着実に成長している。

<社長B>
「私のやり方に納得が行かないなら今すぐ会社を去れ!」
詳しいことは略するが、これは私自身が役員を務めていた会社で経験した一場面での言葉である。
さすがにあの時は一同心が粉々に砕け、一気にやる気が失せたのを覚えている。
そしてこのようなことを言う社長の会社がどうなったかは、想像に難くないと思う。

さて、もしあなたがNo.2ならどちらの社長の力になりたいと思うか・・・?
非常に極端な2人の社長の例だが、どちらも窮地に陥ることは考えられる。
ただ決定的に違うのは、窮地から脱することができる可能性とスピードである。

社長Aの会社は、窮地を脱するための橋の架け方を示してあげれば自ら橋を作り目指すべき向こう岸に渡ることができる。
なぜならNo.2が社長と共に向こう岸を目指して組織を動かすからである。
そしてその経験を元に、次なる岸を目指して動き出すことになる。
さらにはこの循環スピードが速くなる。

他方、社長Bの会社は、橋を架けてあげないと向こう岸に渡ることができない。
なぜなら、橋の架け方を示しても、橋を作るNo.2を始めとした人材がいないからである。
仮にNo.2を始めとした人材がいたとしても、現社長の元ではその力を発揮しない・できない状態となっている。

ところで、No.2あるいはその予備軍である人材が社長や会社に望むことは何であろうか?
私が思うに、この会社を良くしたい、そのために自分を磨きたい、会社の力になりたい、そして認めてもらいたい。
純粋にそれだけである。
あとは社長がそれに気付き、その力を引き出すことができるかにかかっている。
ここにカリスマ経営と傲慢経営の違いが表れることになる。

キーワードは”気付き”である。

カリスマ経営というと、彗星のごとく現れ、短期間のうちに成功を掴み、時の人となる経営者を思い浮かべる人が多いだろう。
しかし、重要なポイントは事業の継続性であり、事業継続確度を向上させるために必要な要素が、”気付き”である。
戦後の日本から考えれば、松下幸之助氏、本田宗一郎氏などを始め偉大な経営者が数多く出現している。
彼らが志しをもって事業を立ち上げ、そして発展させてきたこと以外に共通することは、そこに必ずNo.2が存在したことである。
そしてNo.2が発する嫌なことにも耳を傾けてきたことである。
ここから多くの気付きを得ることで事業を継続することができたと言っても過言ではない。

他方、一時的な追い風に乗ってたまたま事業が成功した(前述した社長Bのような)経営者の威圧的なトップダウン方式では、やがて事業は必ず行き詰る。
その理由は、右へならえの停滞した組織になるか、経営者の傲慢振りから人の心が離れていくかのいずれかである。
これより、カリスマ経営と傲慢経営の違いは”この人と一緒に仕事がしたい”と思われる経営者であるか否かと言える。

最後に、会社は社長の鏡であることを念頭に置いて考えてほしい。
あなたの組織には本当にNo.2は存在しないのか?
その芽を摘んでいないか?
これに対する”気付き”を社長に促すことも我々専門家の仕事の一つである。