第十五話「地元名士のプライド」
道元は、千葉県の房総半島に来ていた。先週までいた伊勢志摩の英虞湾を臨む地域とは、海に近いという点以外は全く異なる様相を見せていた。伊勢志摩は、リアス式海岸が続き、複雑な海の姿が夕日に映えて深い情緒を与えてくれていた。一方、房総半島から見える海は、まさしく太平洋があるのみで、率直で雄大な景色であった。
「櫻井道元さん、どうしてもあなたにお願いしたい。」
地元の名士である里見興業の石井社長が、懇願するように道元に頭を垂れていた。里見興業は、房総半島にある100室程度の旅館を買収したものの、経営再建が軌道に乗らず収益の苦しい状況が続いていた。そこで、ホテル旅館の再建屋として道元をある人物から紹介され、ようやく会えたのだった。
旅館の経営は芳しくなかった。旅館経営はずぶの素人だった石井社長は、何が原因で利益が上がらないのかさっぱり分からなかった。買収する際には、もっと利益が出るはずだと考えていたのだが・・・。しかし、誰に相談することも出来ずに、売上と利益が下がり続けるのを見ているしか無かったのだった。本業がまだしっかりしているから良いものの、それでもこのままの状態が続くと、資金繰りにも悪影響が出そうであった。
「石井社長、一つだけ確認させて頂きたいのですが。」
そう言って、道元は石井社長を見据えた。優しい目をしている一方、人のあるがままを見抜こうとする人を突き刺す冷たい目も持ち合わせていた。たおやかな姿勢で石井社長に向き合っていた。
「石井社長にとって、この旅館はどのような意味があるのですか。」
いきなりものの本質を確かめるような質問に石井社長は戸惑ったし、自分の経営に対する姿勢を確認するような質問に若干苛立っていた。しかし、道元の目は真っ直ぐだった。石井社長は直感的に、曖昧な嘘をついてしまってもすぐに見抜かれてしまう。
「やはり、石井家はこの地元の有力な家であることは間違いない。そうである以上、自分の商売を確実なものにして、その名前に傷をつけてはならんと気をつけてきた。しかし、あの旅館が大手企業や見ず知らずの企業に買い取られることは、なんだか自分の庭に他人が入ってくるような気がした。だから、うちが買収したんだ。正直言って、俺は旅館のことがよく分からん。ただ、あの旅館はつぶれたらだめだと思ったんだ。」
しばらく静寂が続いた。目の前に広がる静かな海の遠くに、小さく波頭が立った。
「分かりました。お受けしましょう。」
つづく