第四十三話「潰したホテル」
いつものように、小高い山の上にある賃貸のマンションから麓まで歩いていた。山の上から見る英虞湾は、天気の良い日には煌びやかな織物のように見えた。点在する島々がその陰影を形作り、その織物にアクセントを与えていた。麓まで続く道を歩いている時間が、道元にとっては唯一の気晴らしになった。山を覆い尽くす木々に塞がれて、海が見えなくなったり、しばらく歩くとまた見えたりと、その変化する景色も楽しみであった。
「道元さん。あんた、どうしてくれるんだ。」
金融債権者のみならず一般債権者が集まる会議において、道元は詰め寄られていた。
それまで様々なホテルの総支配人などを務めており、次のステップを考えていた時にある事業会社の社長と知り合い、その会社が保有するホテルを経営者として任せたいという話が持ちあがった。思う存分自分が納得いくようなホテルを作り上げたい。そして適正な利益を得るような理想のホテル経営を行いたいと考えた道元は、その提案を快く受け入れた。まだ若かった道元は、そのホテルの経営状況を良く確認して提案を受け入れるよりも、熟慮しているうちにそのようなチャンスを逃すことの方が自分にとって大きな損失になると考えていた。
雇われ社長としてそのホテルに入り込んだ道元は、その経営状況を把握していくにつれて、予想以上に財務状況が悪いことを知った。簿価上でも債務超過であり、借入は年商の3倍にも及んでいた。支払金利負担が大きく償却前経常利益も低く、返済期間は数十年にもなることが容易に理解できた。
一方、スタッフのモチベーションも非常に低かった。利益をねん出するために全スタッフの給与を一律15%カットしており、給与の遅配もたびたび起こっていた。現場を統括する総支配人や部門長の意識も低く、提供サービス品質を上げていくための取り組みなどは何らなされていない状況であった。また、計数管理についてもおざなりになっており、部門ごとに利益を確保するという意識すらなかった。
ホテルとしての体をなしていなかった。
道元がこのことに気づいた時には、もう手遅れであった。やがて、資金繰りに窮するようになり、依頼した事業会社の社長に資金の融通をお願いしたものの、曖昧な返事が返ってくるのみであった。その社長は、資金繰りを含めて道元に任せたのだから、ちゃんとやってくれと言い放った。
そうして、振り出した手形の決済ができないことが明確になったその日に、民事再生法の手続きを開始したのだった。
道元の前に、再び英虞湾の美しいきらめきが広がった。それと同時に、曹洞宗道元禅師の教えが、改めて思い出された。
『他はこれ我にあらず』
一人ひとり他人に譲ることのできない、かけがいのない人間であると同時に、その一人ひとりの仕事や分担を、他人に任せてはならない。全て修行と心得て過ごしていかなければならない。
つづく