第69話 『淀んだ灯りに浮かぶビジネスホテル』
見知らぬ男が、道元の体に軽くぶつかってはふらふらと立ち去っていった。道
元は軽くよろめきながらぶつかってきた男の方を見たが、男は何もなかったよう
に時代遅れの演歌を口ずさみながら去って行った。男の背中の向こう側には、夜
の都市にきらめくネオンや看板がギラギラと輝いていた。
道元はこの喧噪が余り好きではなかった。享楽的で刹那的、そして掃きだめの
ような臭いと淀んだ空気。出来るだけ早めにこの雰囲気から逃れたかったが、道
元が目指すビジネスホテルはまだこの明るいが何かしら淀んだ灯りの奥深くまで
行かなければならなかった。
「道元さん。こんな遅い時間に申し訳ない。」
(株)セントラルホテルチェーンの伊藤社長がフロント脇のドアから出てきた。
「このホテルは本当に繁華街の真ん中に立地しているんですね。」
道元は少しおどけたような仕草をして応えた。
「そうなんですよ。それがうちのホテルチェーンの最大の強みでね。私は本業が
不動産でしょう。だからとにかくビジネスホテルをやるんだったら立地だと思い
ましてね。良い立地の物件が出たらとにかく押さえたんですよ。少々高くついて
も、ホテルが生み出すキャッシュを考えると必ず10年以内にペイできると踏んで
たんでね。」
ビジネスホテルにしては広いロビーの端にある応接セットへと案内して、道元を
椅子に座るよう促した。
「しかし、思ったよりも収益が低くて。最近は資金繰りも厳しくなってメインバ
ンクのチェリー銀行にリスケをお願いしたというわけです。そうしたら、ホテル
の再建屋を入れて抜本的に収益改善に努めたらどうかと、企業支援部長の島崎さ
んに道元さんをご紹介いただいたというわけです。
うちのホテルは全部で4つありまして、近県の中核都市にあります。それぞれ
立地の良い場所にありますから、もっと収益が出ても良いのですが…。」
胸ポケットから手帳を取り出して、せわしなくページをめくった。
「前月の売上が100百万円あったのですが、EBITDAでたった10%しか出ていない。
これでは金利を支払って元本返済のキャッシュが足りないということです。まあ、
私の経営者としての能力不足だと思うのですが、何とかならんのかという思いで
一杯なんですよ。ビジネスホテルは儲かると聞いたから始めたのに、こんなに苦
労するんだったら止めときゃ良かったとも思いますよ。」
道元は、伊藤社長の繊細で鋭い眼差しを見ていた。社長の真意を見抜くように。
「これから私も各支配人とも話し合って収益改善に努めていきたいと考えていま
すので、よろしくお願いいたします。」
今日のところは早めに切り上げてこの雰囲気から逃れたい気持ちが強かった。